本紹介!『ゴリラ裁判の日』

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はじめに

「わたしの夫は射殺された。撃った相手は無罪になった。」  

この発言を聞けば、多くの方が夫を亡くした哀れな妻をイメージするでしょう。彼女に同情する方がいるかもしれません。あるいは理不尽な判決に対し、憤りを感じる方もいるかもしれません。

ではもし、この発言をしたのがゴリラだったとしたら?暴れたゴリラを殺害するため、やむを得ず射殺されていたとしたら?あなたは同じ感想を持ちますか? 

今回は須藤古都離の『ゴリラ裁判の日』を紹介します。 

あらすじ

まずはあらすじから。

アメリカの動物園に住むメスゴリラ、ローズ。研究所で人間の言葉や手話を教わっていたローズは、人間と会話ができる高い知能を持っていた。人間と意思疎通がとれるゴリラとして人気を集めていたローズは、幸せな生活を送っていた。 
そんなある日、衝撃的な事件が起こる。ゴリラの巣に落ちた子供を守るため、ローズの夫、オスゴリラのオマリが殺害されてしまうのだ。ローズはオマリを射殺した動物園を起訴するが、敗訴に終わってしまう。 
「正義は人間によって支配されている」————ゴリラより人間の命を優先する社会に対し、ローズは戦うことを決意する。 

初見で見た時、正直に言うと「めんどくさそうな本だ」と思いました。最近のネットでよくある「動物を殺すのは可哀想!人も動物もみな同じ!」とか言う愛護団体とか出るんじゃないかと。

いやー、全くの誤解!的外れもいいところでした。この本はメチャクチャ面白い!ゴリラと人間の違いや人間の定義という難題に対し、学問的な難しさを排除して、同時に読者に考える切っ掛けを与える良作だと思います! 

感想(ネタバレ微あり)

オープニングは裁判からスタート。オスゴリラのオマリ射殺事件に対し、陪審員(一般人から選ばれ、刑罰や有罪無罪を決める人)たちが量刑について話し合います。と言っても、話し合いはスムーズに行われています。事件の概要は以下のようなもの。

  • 事件の現場はアメリカの動物園にあるゴリラパーク。
  • そこに一人の少年が落下し、気絶してしまう。
  • 突然現れた少年と、周りの客が騒いだことで興奮状態になったオスゴリラのオマリは、少年を引きずりまわす。
  • 少年の命を守るため、動物園はオマリを射殺。少年を救出する。

争点となるのは、動物の命と人間の命、どちらを優先すべきだったかというもの。審議の末、裁判は動物園側を無罪と結論づけます。 

皆さんなら、この結論に同意しますか?
ゴリラを射殺するのは残酷だ、と思う方がいるかもしれません。ちなみにゴリラの握力は平均400~500kg、成人男性の約10倍近くあります。人間の子供の頭なら、簡単につぶせるでしょう。麻酔弾を使えばよかったのではないか、という方もいるかもしれません。付け加えると、麻酔弾はすぐに眠らせることはできません。そんなことができるのはコナンの麻酔針ぐらいでしょう。むしろ弾を打つことで、より興奮状態になる可能性もあります。

しかしこの判決に納得しない人物(?)がいます。それがオマリの妻であり、動物園を訴えたメスゴリラのローズです。ローズはゴリラの命より人間の命を重んじる判決に怒り、「正義は人間によって支配されている」と言い残します。 

場面は変わって、ローズの過去回想に移ります。小説の半分以上を費やしていることもあり、ローズの生活や考え方、成長の過程が詳細に描かれています。ここで見えてくるのは、ローズがいかに魅力的な人格、いえゴリラ格なのかということです。カメルーンのジャングルで育ったローズは、研究員たちと交流を深めます。研究員たちの様々な実験を受ける中で、人間と変わらない知能を備えるようになります。手話で研究員と会話し、人間と雑談したりもします。 
このなんでもない日常風景が素晴らしい。一場面だけを見ると、どこでもある日常なんですよ。愚痴やドラマの感想、うわさ話に花を咲かせる。物珍しくもなんともない、ありふれた光景。ところが、ここにゴリラという要素を加えるだけで、一気に非日常に変わるんです。この日常とゴリラという異物のギャップが面白いんです。ゴリラが愚痴を聞いている、ゴリラにも好きなドラマがある、ゴリラもスラングを使う。普段見慣れた風景が、ゴリラという要素が加わることで、新鮮に読み進めることができます。 

ローズはただ知能が高いだけではありません。人間とゴリラ、その違いに悩むこともあります。例えばゴリラの恋愛観について。ゴリラはリーダーのオスと複数のメスで群れを作ります。つまり一夫多妻制を採用しているわけです。このことに違和感を抱くゴリラはいません。自分の夫がほかのメスゴリラと交尾しても、文句を言うゴリラはいません。 
ローズは違います。人間のテレビドラマを見て育ったローズは、「好きな人が自分を愛してくれる」というシチュエーションにあこがれを持っています。思いを寄せるオスゴリラが、ほかのメスゴリラと交尾するかもしれないと考え、嫉妬する。まるで人間の女性のように。この感性の違いも面白い。ローズのふるまいは確かに人間に似ているが、彼女の根本はゴリラです。人間の考えや感性とは決定的に違う部分もあります。その違いは、ただ面白いだけでなく、「やっぱりゴリラと人間は違う生き物なんだ」と読者に思い知らせる役割も持っているんです。ただゴリラと人間は仲間なんだ、という安直な考えにはもっていかせないようにしているのが、うまい書き方だなと思います。 

そんなローズも成長を重ねていき、ついにアメリカの動物園へやってきます。言葉を話せるゴリラとして、ローズは一躍有名ゴリラになります。 
しかしここで冒頭の事件が起きます。一度は敗訴したローズでしたが、二度目の裁判を起こします。この裁判がまた素晴らしいんですよ! 

この裁判では改めて、人間とゴリラに命の差はあるのか、人間とゴリラの違いとは何なのか、が問われます。と言っても、「ゴリラとは霊長目人科ゴリラ属のなんたらであり~」みたいな小難しい話ではありません。裁判上の結論は出ますが、それはあくまでローズにとっての結論。議論の余地は残されていますし、なんならこの本の読破後こそが、新たな議論の始まりになると言えます。ゴリラであり、人間でもあるローズだからこそ出せる結論とは。ぜひ本編でご確認ください。 

終わりに

いかがだったでしょうか?今回は須藤古都離の『ゴリラ裁判の日』を紹介しました。ぜひ人間と動物の関係や違いについて考えたい方、考えさせられる本を読みたい方、ゴリラが好きな方はぜひご一読ください。それではまた。 

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